熊野三山

諸国へ御朱印の旅

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熊野本宮大社の御朱印

1101熊野本宮大社

熊野本宮大社

住所:和歌山県東牟婁郡本宮町本宮1110
天照大神の使いとされた”八咫烏(やたがらす)”の神旗を仰ぎながら鳥居をくぐり、石段を上りきると、 装重な檜皮葺きの社殿に目を奪われる。ところで、八咫烏には3本の足があって、それぞれ「天」・「地」・「人」を表していると伝承されています。
 「熊野本宮大社」は、熊野三山の首位の座として君臨し、 「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」の三山をめぐって、はじめて”熊野詣”の成就となります。
熊野三山は、奈良朝末期より、仏教の影響を色濃く受け、熊野三山を巡拝してこそ”心身の甦り”が図られるという、 ”熊野権現信仰”が浸透していました。
すなわち、衆生の苦しみ、病を癒されるという”過去世の業の救済”・”現世での御加護”・”来世(浄土) に導いて下さる”と説くものです。
明治22年の熊野川の洪水までは、河畔の”大斎原”に社殿があった。ここに日本一大きい鳥居があります。


熊野速玉大社の御朱印

1102熊野速玉大社

熊野速玉大社

住所:和歌山県新宮市新宮1
「熊野速玉大社」は本宮・那智の両大社ともに熊野三山のひとつに数えられ、 熊野権現の名で宗教王国を構成した神社です。
熊野川のほとり、深い森を背にして朱塗り、熊野造りの社殿が並んでいます。
境内の”なぎ”の巨木は、平重盛手植えと伝えられ、幹囲6m、高さ20m、樹齢1000年を数えるという霊木で、 毎年この木の枝から採取する実で”なぎ人形”が作られる。
『千早ぶる熊野の宮のなぎの葉を変わらぬ千代のためしにぞ折る』藤原定家が詠む一首


(神倉神社)の御朱印

1104神倉神社

(神倉神社)

「神倉神社」に長い石段を上って参拝しました。

538段、源頼朝寄進というこの石段、傾斜が急で足元も悪く苦労しました。

もと熊野速玉大社の祀られた地で、巨大な岩山の中腹に”ゴトビキ(ヒキガエルの意)岩”と呼ばれる大きな岩を
御神体としています。

ここは古くは神武東征神話の中に”熊野の神邑”としてあらわれる(日本書紀)、
また高倉下命が神武天皇に”横刀”を奉った(古事記)、という神話の舞台としても知られています。


熊野那智大社の御朱印

1103熊野那智大社

熊野那智大社

住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
由緒書によると、その由来は神武天皇の時代にさかのぼり”神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸されたとき、 那智の山に光り輝くのを見て、那智の滝の存在を知り、この大滝を神として祀った。
神武天皇は、その守護を受け、八咫烏の先導によって、無事に大和国にお入りになった”と伝えられています。
古くから神と仏が共に宿ると考えられてきた霊地、熊野那智。


(飛滝神社)の御朱印

1105飛滝神社

(飛滝神社)

那智の滝は、栃木県の華厳の滝、茨城県の袋田の滝と共に、日本三名瀑の一つに数えられる迫力ある大滝です。
高低差133m、岸壁を一気に流れ落ちるその壮大な姿は、熊野那智大社の別宮「飛瀧神社」 の御神体として祀られている。


御朱印とは

 神社仏閣に参拝した「証」として御朱印帳に神社仏閣にて頂けます。
始まりは江戸時代ごろで、寺院の参拝したときに、信者が写経した「経文」を奉納し、参拝の「証」としてその寺院や御本尊の名称を墨書し、「宝印」を授与されるものでした。
これを「納経・朱印」と言います。今でも「納経印」、「納経印帳」、「納経所」と呼ばれることもあります。
御朱印の魅力は、ひとつひとつ手書きされ、その神社仏閣によって書かれる内容が違います。同じ神社仏閣で書く内容が同じでも、書く人の筆さばきの違いにより、その味わいはさまざまです。
また身近に、あなたの心のエネルギーを充足してくれる神社仏閣(あなたのパワースポット)をみつけ、朔日参りまたは月参りをしてはいかがですか。
心のよりどころとしての神社仏閣に、ご自身の節目・節目のご報告をする。
そんな参拝の「証」でもあります。


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